イベント報告

小田城・藤沢城

2018/3/24に常陸小田城・藤沢城見学会が行われた。案内講師は、当会評議員の坂井尚登氏。
13時つくばエキスプレス線研究学園駅に集合し、そこから貸切バスで最初の見学地小田城に向かった。

小田城

小田氏と小田城

小田氏の祖、八田知家の時代から栄華を極めた小田氏は、戦国時代十五代の氏治の時代に、後北条氏側の結城氏との戦いで敗れ、上杉謙信の後北条攻めの際には、後北条と同盟を結んだ氏治は上杉謙信・佐竹義重の連合軍との戦いで敗れ、その度に小田城は落城するが、氏治は奪還を繰り返している。しかし、手這坂の合戦の際に佐竹氏に降伏し、藤沢城に入ることになる。以後、氏治は小田城を奪還することはできなかった。

案内所見学

小田城到着後、小田城跡歴史ひろば案内所で、小田城の歴史のムービーを鑑賞、パネル展示などを見て小田城の歴史を学習した。この案内所では小田氏、小田城の歴史をわかりやすいパネルで学習できるので、これから訪れる方は最初に立ち寄って欲しい場所である。

小田城跡歴史ひろば案内所

小田城跡歴史ひろば案内所

小田城跡歴史ひろば案内所内のパネル展示

小田城跡歴史ひろば案内所内のパネル展示

復元広場

小田城は平成21年度から7年間かけ発掘調査結果をもとに復元整備が行われた。少し整備しすぎた感があるが、大手口にある東堀付近の橋から見る景観や、当時を思わせる南西馬出曲輪付近など見どころは多い。

東堀・東橋付近

南西馬出曲輪付近

復元広場を一通り見学後、周辺の曲輪跡も見学し、約1時間の見学を終了した。次の見学地藤沢城へと向かう。

藤沢城

1583年に佐竹氏に降伏した小田氏は、ここ藤沢城に入ったといわれる。小田城の東南直線距離で4km離れた場所にある。東西約900m弱、南北750m弱の範囲とかなり広大な城である。ちなみにさらに東南には土浦城がある。

藤沢城遠景

藤沢城遠景(城南側から撮影)。左側が主郭部、浸食谷を挟み、右側が東郭群

藤沢城の北側惣構から見学がはじまった。堀、土塁が約700mほど断続的に続く。

藤沢城 惣構に残る土塁①

惣構に残る土塁①

藤沢城 惣構に残る土塁②

惣構に残る土塁②

主郭部北西の田土部郭に移動、松岳寺には小田家12代成治のものと伝わる供養塔がある。

藤沢城小田家12代成治五輪塔建立の碑

小田家12代成治五輪塔建立の碑

藤沢城小田家12代成治の五輪塔と伝わる

小田家12代成治の五輪塔と伝わる

次に、東郭群の極楽寺付近へと移動してきた。折れを多様した土塁が特徴的で一部が現存する。

藤沢城極楽寺付近のクランク状の土塁

極楽寺付近のクランク状の土塁


主郭部西にある播磨郭には、藤原藤房(後醍醐天皇の側近)がこの地に流され小田治久に預けられた際、藤房の髪を埋めたとされる髪塔塚遺跡がある。

藤沢城髪塔塚

髪塔塚

続いて主郭部東南端、字「城内」にある、主郭部の中でも中心となる郭へと入る。現在は畑地となっている。

藤沢城城内①

城内①

藤沢城城内②

城内②

藤沢城に到着して約1時間半、広大さを足で感じて見学は終了した。

以上、小田城・藤沢城見学会レポートでした。最後までお読みいただきありがとうございます。
つたない文章、内容で恐縮ですが、これからも、見学会の様子がわかるようにレポートを書いていきますので、見学会ご参加の一つのきっかけになれば幸いです。

参考文献:
国指定史跡小田城跡 つくば市教育委員会
常陸小田城・藤沢城見学会レジュメ 坂井尚登
改訂版図説茨城の城郭 茨城城郭研究会 図書刊行会

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